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感染免疫学の権威・岡田晴恵教授が緊急提言!「なぜ感染症は人類最大の敵なのか?」【新型コロナウイルスと闘う①】

新型インフルエンザの脅威

インフルエンザは世界中で流行を続けた疫病である

  新型インフルエンザと聞いても、多くの人々は毎年流行しているインフルエンザを思い浮かべるかもしれない。また、風邪とインフルエンザを混同している場合もあるだろう。

 「新型インフルエンザ」は、毎年流行している「インフルエンザ」とはまったく違うし、「インフルエンザ」も単なる「風邪」とは別物なのである。 インフルエンザは、古くから世界中で流行を続けた疫病である。

 すでに紀元前5世紀、ヒポクラテスがそれと思われる病気の記述を遺している。中世イタリアでは、この病は星の配列、 運行によって起こるものとして「天体の影響(influenza cieli)」と呼ばれた。またインフルエンザの語源は、18世紀に付けられた病名「寒さの影響(influenza di freddo)」であるといわれる。

『源氏物語』『明月記』にも登場するインフルエンザ

 日本でも「咳病(がいびょう)」してインフルエンザは登場する。

 古くは862年平安時代に、激しい咳の出る疫病で多数の死者が出たと記録されている。当時の人々はこの咳病が海外からもたらされたと考え、高句麗族の国の客が他国の毒気を運んで来て流行が起こったと記されている。『源氏物語』にも「シハブキヤミ(咳の出る病)として登場し、藤原定家『明月記』(1233 年)のなかに書き残している。

 

『源氏物語』の夕顔の巻では、六条御息所に呪い殺されたとされる夕顔。実はインフルエンザでなくなった可能性も高いと言われる。写真は月岡芳年『月百姿』「源氏夕顔巻」より1886年(パブリック・ドメイン)

 江戸時代にもインフルエンザは風疫、風疾等と呼ばれて流行した。1730年、長崎から始まったものは、その前年のヨーロッパの流行を受けたものであり、1733年の世界流行の時にも、同年、日本に上陸している。「お駒風」(浄瑠璃)、「お七風」(小唄)、「谷風」(力士)といった名称は、その流行をしのばせる。と同時に、日本では現在でもインフルエンザが風邪と区別されずに、「かぜ」と認識されている理由が分かってくる。

◼️全世界で推定1億人が亡くなった「スペインかぜ」

 1918年から1919年にかけて、世界は新型インフルエンザ「スペインかぜ(H1N1)」に席巻された。この疫病による死亡者は、全世界で2000万人から4000万人とも8000万人とも言われていた。最近ではアフリカなど統計に入っていなかった地域の犠牲者を加味して、8000万人から1億人と推定されている。当時は第一次世界大戦の真っ只中であったが、この大戦での戦死者が1000万人、実にその5倍以上もの人間が新型インフルエンザで死亡している。

 大陸を跨がって広がる疫病は「パンデミック」と呼ばれるが、スペインかぜはまさにパンデミック、世界的流行を起こした疫病であった。ニューギニアなどの地理的に隔離された一部の地域を除いて、全世界が襲われたのである。

 当時の世界人口20億人のうち、5億人が発症した。犠牲者数は、アメリカ55万人、イギリス20万人、ドイツ23万人、イタリア50万人、ロシア45万人といわれる。さらに中国では400万から1000万人、インドでは1200万から2000万人が死亡したと推定されている。日本でも、38万人の犠牲者が出た。 フィジーやタヒチといった島では、3カ月の間に住民の2割が死亡している。サモアでも住民3万8000人が全員感染し、うち750人が犠牲となった。

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  • 岡田 晴恵
  • 2013.08.09